FM三重『ウィークエンドカフェ』2021年9月11日放送

紀北町長島。ここに伝わる伝統行事の1つが『息子の酒』。
男の子が生まれると水難事故にあわないようにと旧家・湊家の当主と親子の杯を交わします。
今回は、湊家13代目、湊章男さんがお客様。
380年続くこの行事についてお話を伺います。

代湊治郎左衛門が悪さをしていたかっぱを懲らしめ、湊家の人は水の事故から守ると約束した

この長島というところは漁師町でして、漁師というと海難事故に遭うのが恐ろしいことです。
私どもの先祖である湊治郎左衛門が馬で川を渡っているときに、河童が出てきて、馬の尻尾を掴んで川底に引きずり込もうとしました。
そこで河童の腕を切りました。
河童が腕を返してほしいがために、「あなたの末代まで河童一族は絶対に悪いことはしません」という約束しました。
腕を返してもらった河童のおかげで、以来、子孫も含め初代湊治郎左衛門に関わる者は河童が絶対悪さをしない…海や川で溺れさせないということから、毎年1月11日に、家族になったという意味で『息子の酒』という盃を料理の息子たちと交わすわけです。
盃を交わし、湊治郎左衛門の縁がつながった証に、日の丸の扇子を渡します。
それで安心して、海や川に行って仕事をしていたんですね。
その行事が毎年1月11日に開催されるわけです。

 

家は大庄屋。出生届の役割もしていたのではないか

じいさんが盃を交わしているのを、小さな頃見ていました。
それから親父のも見て。
そして私の代になってからやるようになりました。
うちは男の子ばかりで、代についたときはまだ学生で長島には住んでいませんでした。
ですから、弟が代わりにやっていました。
初代の大庄屋をしていて、お寺なども建てていました。
土地もとても持っていて…大地主ですね。
徳川が和歌山に来てから庄屋制というのができて、初代の大庄屋だった人ですから。
今で言ったら村長さんか県会議員という役職に近いです。
『息子の酒』によって、生まれた子どもが湊治郎左衛門の家に来るということは、出生届的な意味があったのかもしれませんね。
庄屋にとって、戦があったときに上から人を出せと言われた際には、どこどこに誰々の男の子がいると把握していたら、協力できますからね。
そういう意味もあったのかもしれません。
庄屋としての役目で『息子の酒』があったと考えられます。
いちばん大切なのは、海難・水難事故に遭わないということです。
この漁師町で。

 

の祷が始まったら、息子の酒は終わる

豊漁を願っての神事『弓の祷』も同じく1月11日に開催されます。
『弓の祷』が始まったら『息子の酒』は終了となり、残った人は来年へと回されます。
『息子の酒』は10日の24時…つまり11日の0時に家の外で待っている人がいます。
親としては一番乗りでさせたいのでしょうね。
1番になると『惣領息子』ということで、日の丸の扇子を2本与えるという習わしになっています。
他の子はみんな1本です。
漁師町ですから朝も早いですからね。
0時の第一陣が終わると、4時くらいに子どもを寝たまま連れてきて、盃を交わします。

 

で泳いでいて肩が脱臼したとき、波が体を安全な場所に運んでくれた

私が学生時代に海で泳いでいたとき、普通に泳いでいる分には何もなかったのですが、バタフライをしたらちょうど波とぶつかって、片腕が脱臼してしまったんですよ。
泳ぎながらなので、片手で泳ぎながら岸に戻ろうとしました。
片腕なので疲れてしまっていたら、波が岸に押してくれた気がしました。
溺れないように。
こんな家に生まれて、盃を交わしたのに、溺れてしまったらとんでもないです。
なにか、力を貸してくれたのかなと思いました。

そういう家に生まれてきた、そういう縁で生かされたのかなと思いました。
ですからこれは、私の使命かなと思います。
先祖から受け継ぎ、次の代へ引き継ぐ。
絶やさないように伝統を守っていきます。